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あの日、あの時、あの場所で 

何から伝えればいいのか・・・

三国志のエピソードと言っても色々あって、
何から書いていいのか分からなくなりました。
小田和正さんの声が聞こえてきたので、
今回は「出逢い」をテーマにした話をひとつ。



劇的な出逢いということで言えば、太史慈と孫策の右に出る話はないでしょう。

太史慈が揚州刺史の劉繇のもとにいたとき、ちょうど孫策の軍が押し寄せてきました。
太史慈を将軍として軍を率いさせるべきだと意見もありましたが、
劉繇はまだ面会して間もない太史慈を偵察の任務を与えるにとどめました。

偵察に出た太史慈は、偶然にも孫策に遭遇したのです。
時に孫策に従っていたのは、韓当や黄蓋など勇将十三騎。
太史慈は自分のほかにはただ一騎を従えているのみでした。
しかし彼は、果敢にも孫策目掛けて闘いを挑みました。

孫策が太史慈の馬を刺して手戟を奪い取ると、
太史慈は孫策の兜を掴む・・・
壮絶な一騎討ちを繰り広げていたところへ、
双方の兵が集まってきたので、二人は距離を取り、決着はつきませんでした。

後日、太史慈を捕虜にした孫策は、
彼の有能さを高く評価し、礼を尽くして幕僚として迎え入れました。
太史慈のほうでも孫策の処遇に感じ入り、
劉繇の配下だった兵士や民衆を慰撫して、孫策のもとに連れてくることを提案します。

太史慈はそのまま逃亡するつもりではないかと疑う部下の推測を尻目に、
孫策は太史慈を深く信頼して、その提案の通りに太史慈を派遣しました。
果せるかな、太史慈は約束どおりに孫策のもとに還ってきたのでした。

以後、太史慈は孫策のもとで重大な職責を負い、
孫権の代になると南方地域に対する処理を一手に引き受けることになったのです。



主従の関係というものは、
仕官するだとか、招聘するだとか、
手続きらしきものを踏んで、というのが一般的だと思うのですが、
彼らの出逢いはいきなり戦闘。なんともドラマティックです。

三顧の礼も美談ですが、インパクトにおいては太史慈と孫策には適わないでしょう。
それ故か、様々な創作の題材にされやすい気がします(笑)

付言すると、彼らの関係が厳密に主従関係なのかは怪しいようです。
後々書きたいと思いますが、
もし詳しい方がいらっしゃれば、コメント頂けると幸いです。

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コメント

詳しくはないですが…

え~私空気を読めない人間ゆえご迷惑でしたら遠慮なく一喝して下さい。

たしか太史慈って劉繇や士燮と一緒の伝に纏められてるんでしたよね。
これはたぶん劉繇敗北後に丹楊太守を自称し孫策に対抗したので陳寿が群雄扱いにしたんじゃないのかなあなんて思ったりします。


えと私事ですが、私、歴史用のブログを持っていまして、こちらとは違いたいしたモノはありませんがよろしければ遊びに来てくださいませ。

大歓迎です

コメント、ありがとうございます!
迷惑だなんてとんでもないです。とっても嬉しいです。

なるほど、孫策に降る前は一個の群雄であったわけですよね、
私は、士燮のように形式的には孫氏に臣従していながら、実際には半ば独立した勢力を保持していたためではないか、と感じています。
皇帝への野心があったことが示唆される臨終の言葉も残っていますし。

仰るとおり正史における扱いは、他の臣下と比べて別格ですね。

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