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認め合える争い 

R25を読んでいたら、様々な良きライバルを紹介するコーナーがありました。
争っているけれども、憎むわけではなくお互いに必要な関係というのは不思議なものです。

では、三国志でのライバル関係にある人物は誰と誰でしょうか。
以前紹介した孫策と太史慈は、出逢いはライバルの関係だったかもしれませんね。
今回は、周瑜と魯粛の二人について見ていきましょう。



周瑜は若いころから孫策と親交が深く、同い年であったため兄弟のように接していました。
孫策が挙兵したことを聞くと、いち早く駆けつけたのです。
以来、彼は孫策のもとで軍を統括する極めて重要な役割を担い続けました。

一方の魯粛は、その周瑜に推挙されて孫権に仕官しました。
既に孫策は死去し、孫権が君主となっていましたが、
周瑜は孫権に対し魯粛の有能さをしきりにアピールしたのでした。

赤壁の戦い前は、降伏論が多勢を占める中でともに主戦論を唱えた二人でしたが、
その後劉備に対する政策の違いが浮き彫りになります。
周瑜は劉備の勢力を危険視し、早期に取り除く策を練ったのに対して、
魯粛は一貫して劉備勢力と結託して曹操軍に対抗するという方策を主張しました。

やがて周瑜は、劉備に先んじて蜀を征服するための軍備を整えている最中に、
病にかかって死亡します。
呉の軍事を統帥していた周瑜の死は、
孫権にとって大きな大きな痛手でした。

周瑜が死に際して自らの責務の後継として指名したのは、
彼が危険因子と位置づけていた劉備と、手を組もうという意見の魯粛だったのです。
魯粛を自分の重責を担える知略の持ち主と認めての遺言でした。



周瑜と魯粛の関係は、劉邦の配下の蕭何と曹参の話を髣髴とさせます。

どちらも対立する相手を認めるということですが、
能力と政策論は別の話ということになるでしょうか。
大切なのは組織の利益が最大化されることであって、
そのためにどの手段を取るかは重要ではないということです。
政策は絶対ではなく、それを提唱する人だからこそ実施できるものであって、
違う者が取り組む場合には、違うアプローチのほうが最善なこともありうるとも言えます。


三国志でライバル関係って、多そうですが実はなかなか思い浮かばないんです。
劉備と曹操、曹丕と曹植、諸葛亮と龐統・・・
どれも典型的なライバル関係とはちょっと違うんですよね。

激しく争いぶつかりながら、お互いに成長していく・・・
シャアとアムロみたいな、そんな分かりやすいライバル関係の二人はいませんかね。

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コメント

ライバルですか、演義なら諸葛亮と司馬懿ですけどね。
袁紹と曹操は袁紹が成長してないから駄目ですね。
陸抗と羊祜はどうでしょうか?
お互い認め合い切磋琢磨しあってますよね。

なぜ思いつかなかったのでしょう

コメント、ありがとうございます。
そうでした、諸葛亮と司馬懿を忘れておりました。
あるまじき・・・ですね。

陸抗と羊祜もありましたか。
彼らのエピソードは話題としてもすばらしいものがありますね!
いずれ書こうと思います。

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