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泣いて馬謖を斬る 

タイトル通り、今回は有名すぎる故事を紹介します。

人口に膾炙していますので、
改めてここで紹介する必要もないんじゃないかと思いましたが、
単なる信賞必罰の例としてだけではなく、
諸葛亮の深い心情にも踏み込んで考えてみようと思い、
取り上げてみました。



諸葛亮の第一次北伐。
出師の表を提示した諸葛亮は、決戦の覚悟を胸に漢中に駐屯しました。

まず、趙雲・芝の軍を斜谷道に進軍させる陽動作戦を取りながら、
自身の軍はより西側のルートを取って祁山に進軍します。
魏の大将軍・曹真は、彼の思惑通りに趙雲軍の防御に回りました。

南安・天水・安定の三郡が諸葛亮になびくと、魏に動揺が走りました。
時の魏帝・曹叡(明帝)は長安まで出向いて動揺を鎮めるとともに、
張郃を派遣して諸葛亮の進軍阻止に当たらせました。

張郃との戦いは、第一次北伐のにおける敵軍との最初の衝突です。
その結果如何で、その後の戦局が大きく左右されるという大事な一戦・・・
大将は「能力・経験ともに十分な魏延だ」というのが下馬評でした。
ところが、諸葛亮が大将に選んだのは、
秀才の誉れは高いものの、実績ゼロの馬謖だったのです。

決戦の地は街亭。
布陣は街道にて行うこと、
指示を下した諸葛亮は、
愛弟子が功績を挙げて帰還することをどれほど望んでいたことでしょうか。
しかし、その愛弟子は功にはやったのか、師への反抗心からか、
副将・王平の諌めも聞かず、諸葛亮の指示を無視して山上に布陣。
結果、水路を断たれて惨敗・・・師に合わせる顔もない、最悪な結果に終わりました。

緒戦で完全に気勢を挫かれた蜀軍は漢中に撤退。
人材不足の蜀にあって将来を嘱望されていた若き将は、殺すには惜しい人物・・・
百官が命乞いをする中、
最も馬謖を可愛がっていた諸葛亮は、涙を流して決断しました・・・馬謖を斬れと。
都に戻った諸葛亮は、敗戦の責任を取り、三階級降格を申し出たのでした。



信賞必罰。功績には必ず報い、違反には厳しく罰する。
法家の諸葛亮のマネジメントが端的に表れています。

このエピソードに多くの人々が心打たれてやまないのは、
彼が指揮官として、宰相としての職責を全うしながらも、
涙したという事実が、人間的な深い情感が滲み出ているからです。

本当に可愛がり、育ててきた愛弟子に
自ら処断を下さなければならないその悲しさ。

一般的に、諸葛亮の涙はそう解釈されます。
もちろんその想いもあったでしょう。
しかし、彼の涙は悲しみの涙だけではなく、
悔し涙も混じってはいなかったでしょうか。

先の皇帝・劉備は言いました。
「馬謖は才気を発してはいるが、実が伴わないから重用するな」
海千山千、幾多の修羅場をかいくぐった男の直感だったのでしょうが、
諸葛亮は主君の忠告を聞かず、馬謖にますます強い期待を傾けていきました。
その結果がこの有様・・・
主君に何の申し訳が立つのでしょうか。

不甲斐ない。
判断の甘かった自分への悔しさが流させた涙でもあったでしょう。
だからこそより一層、
自分の責任で斬らねばならぬ運命に追いやった愛弟子が
可哀相でならなかったのでしょう。

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コメント

はじめまして

お邪魔します。蜀士と申します。
孔明先生は(←呼び捨てには出来ない)馬謖が南蛮などで見せた活躍により、成長したと思ったのかもしれませんね。たださでえ、魏や呉にくらべ、人材が少なくなっている時期に、愛弟子だったからこそ、斬らざるを得なかったんでしょうね。馬謖としては、姜維の存在に焦りを感じていたのでしょうか??

多謝!

いらっしゃいませ~
コメント、ありがとうございます。

>愛弟子だったからこそ、斬らざるを得なかったんでしょうね。
そうですよね。あの場面で馬謖を斬らないということになると、自分の愛弟子だったか斬らなかったんじゃないのか、っていう評価が立ってしまいますからね。逆に涙を飲んだ決断によって、孔明先生の信賞必罰の方針は揺ぎ無いものとして認識されて統制が取れたんでしょうね。
姜維が蜀についたのは、ちょうどこの北伐の時なので、孔明先生はきっと馬謖の代わりの自分の後継者として姜維を育てようとしたんだと思いますよ。

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