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諸葛亮に言わせれば履修単位なんぞ 

高校の履修単位不足が問題になっていますね。
私の母校は今のところ履修漏れとしては挙がっていないようですが・・・
(私には公民を履修した記憶はありません 苦笑)

「大学受験のため」の意味合いが強い高校の学習では、当然起こりうる問題ですね。
決められたルールを守っているかどうか、という点で履修漏れが問題なわけですが、
そもそも学習指導要領が適切なのかどうかは全く別問題です。


孔明先生に言わせれば、
履修単位が決められていることも、
それに沿ってきっちり学習することも大して重要ではないのでしょう。



諸葛亮は荊州に学んでいた頃のことです。

石韜(字は広元)、徐庶(字は元直)、孟建(字は公威)らとともに学問を修めていました。
石韜らが詳細な部分まで精緻に学習しようとしていたのに対し、
諸葛亮は大意さえ掴めれば良い、というスタンスで学習していました。

そんな諸葛亮は学友三人にこう言いました。
「君たちは仕官すれば、刺史・郡守(地方の首長)にまでのぼることができるだろう」
じゃあ君はどうなんだと問われた諸葛亮は、
ただ笑って答えませんでした。

諸葛亮自身は、自らを管仲や楽毅にたとえ、
遠大な志を持っていたと言います。



昔から中国の勉強はひたすら暗記であったようです。
三国志よりずっと時代は下りますが、
科挙の試験も基本的にはどれだけの文章を覚えているかが勝負だったようです。

それを考えると、彼の学習スタイルは特異であると言えます。
私の経験則上も、この方がずっと合理的です。
おおまかな考え方さえ理解してしまえば、
あとは応用を利かせれば何とかなるものです。

実際、こういう学習スタイルだと学校の定期試験の成績はいまいちですが、
範囲の指定が特にない模試や受験本番には強いのです。

それはともかく、
必修科目を履修しているかどうかは、実に瑣末な問題ですね。
ただ信賞必罰が信条の諸葛亮としては、
政府の方針である学習指導要領を守らなかったことに対しての罰則は厳しそうですね。


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コメント

孔明先生の学習法って、今で言う、右脳学習法とか、速読って感じでしょうかね。孔明先生は「誡子書」の中で、いくら才能があっても学ばなければその才能は開花することなく、そこで終わってしまい、何よりも、志がなければ学を成り立たせることはできないってな雰囲気の事を説いていますが、遠大な志を持った人の、学問への姿勢はそれだけでも学び甲斐がありますね。

もしかすると

なるほど、右脳学習のような方法を自然と身につけていたかもしれませんね。
丞相としての働きっぷりは、どっちかというと左脳型の気もしますが。
多くの偉人が残している言葉と相通じるものを感じます。やはり、偉業を成したり志を遂げたりした彼らのいきつく結論は、一つ所にあるような気がします。

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