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三国の品格 

流行語大賞が決まったそうです。
藤原正彦氏の著書『国家の品格』で話題になった「品格」という言葉です。

そこで今回のテーマは「品格」です。
三国志で品格あり、と言える人にスポットを当ててみたいと思います。



わずかながら後漢王朝の劉氏の血筋を引く劉虞(字:伯安)という人物がいます。

幽州刺史になった人物ですが、
非常に清廉な生活を送り、人に遜って接する人でした。
その評判は広く尊敬の対象となり、異民族にも畏敬されるほどでした。

彼の郷里では裁判沙汰が起こると役人のところへは行かず、
劉虞のところに赴いては彼の判断を仰ぎました。
彼は客観的に道理にしたがって判断を示したため、
誰もが納得して恨みに思う者はなかったといいます。

あるとき、牛をなくした者がいました。
その牛の姿格好が劉虞の牛とそっくりだったため、
その者は「これは自分の牛だ」と主張しました。
そこで劉虞は何も言わずにその牛をくれてやりました。
しばらくして、持ち主は本物の自分の牛が見つかったので
牛を返すと同時に謝罪しに劉虞のもとへやってきました。



『国家の品格』では、
ビジネスマンの間でロジカルシンキングが取りざたされ、
理論で物事を語り、金で価値を測る風潮に一石を投じた書です。
かつて日本に根付いていた「武士道」という思想を軸に、
日本人としての情緒ある生き方を提唱しています。

太平の世ならば何らかの秩序が支配していますが、
乱世になりますと、それまでの秩序を形成していた思想が弱まり、
出世や覇権など即物的な価値観が台頭してきます。

漢は儒教国家です。そしてその儒教の秩序が揺らいだのが三国志の時代。
そんな乱世の三国時代でも、礼節・徳義を黙々と積んだ者は存在しました。


劉虞の行いを見ていると、
儒教というカテゴライズされた思想に留らず学ぶべきものを感じます。
先述した牛の話にしても、何が素晴らしいかというと、
自分の牛だと主張した者が、素直に謝りに来るところです。

自分自身の行為そのものもさることながら、
周囲の人間にそうさせる何かが備わっているというのは
注視すべきことではないでしょうか。

地位や立場に関係なく
なぜかぞんざいに扱えない雰囲気を醸し出している人っていませんか。
私はそれが品格と呼べるものではないかと漠然と思います。


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コメント

人柄

袁紹は劉虞がこういう人柄で人望があったから皇帝に祭り上げようとしたんでしょうね。

品格ある人は底知れぬ恐ろしさを内包していることが多いように感じます。
それがなぜかぞんざいに扱えない雰囲気を醸し出しているのかなと思います。
まあ私には縁のないものですね(笑)

公孫瓚との

コントラストが目立ちますね。
演義だと公孫瓚もけっこう品格ある人物なのですが。

ともに品格を磨きましょうぞ(笑)
一過性のものではなく、時代の変化にも風化しないものを身に着けたいものです。
とりあえず、「品格」という単語は明らかに単なる「はやり」ですが・・・

私と違い

玄鳳さんはすでにかなりの気品を身につけておられますよ。
この前お会いした時、オーラを感じましたし。
少しでも近づける精進いたします。

公孫瓉は晩節を汚したのがいけなかったですね。
正史を読む限り若いころは中々の人物のように思われます。

「はやり」でも自分のものとし応用し使うことができるようになればそれでいいのかなと私は思います。

えと、この前話した文字化けなんですがブラウザを変えたところ正しく標示されるようになりました。

白馬義従

やはり公孫瓚も北方の雄として名を馳せただけの実力はあったのでしょうね。
彼自身の能力は高かったのでしょうが、
肝心なところで人の心を読めない部分があったのかもしれません。

「はやり」も踊らされるのではなく、
流れを利用することができれば力ということでしょうか。

私ごときがとんでもない。
ただただ自分の感性に従おうとしているだけです。
おかげさまで「はやり」には通常の3倍疎くなっています。

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