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うまくいけば独断専行もアリ? 

既に過去の人になりつつあるホリエモンが流行らせた言葉、想定内
しかし、想定外のことが起こったときにいかに対処できるかが
その人の能力の見せ所と言えます。

今回は、緊急事態が起こったときの対処方法について、
臨機応変」をテーマにお話しましょう。




寝返りの上塗りは失敗を招く
という教訓的な人生を送った孟達という人がいます。
かつては蜀に仕えていましたが、魏に寝返った人物です。
魏の文帝(曹丕)に厚遇されて、新城郡の太守に任命されました。

しかし、文帝が死去すると、自分の立場の危うさを自覚した孟達は、
呉・蜀と手を結ぶことを画策し始めました。
魏との対決を計画する蜀の丞相諸葛亮は、
孟達に不信感を抱きながらも、彼を自軍に取り込もうとします。

優柔不断な孟達に蜀への寝返りを決意させるため、
諸葛亮はわざと寝返りの陰謀を漏洩させ、孟達の危機感を煽りました。
「孟達、寝返りを謀る」の情報は、すぐさま魏将・申儀を通じて司馬懿に伝わります。

当時、その地方(荊州・予州)の軍事権を握っていた司馬懿は、
孟達に親書を送って寝返りを引き止める一方で、密かに討伐軍を進行させました。
司馬懿の親書を読んだ孟達は、謀反の決起をずるずると先延ばしにし、
決起を促す諸葛亮に対しては
「司馬懿が軍を出すとしても、
洛陽にいる皇帝に上奏する間に1ヶ月はかかるからまだ大丈夫」
と余裕の見解を示していました。

ところが、司馬懿は自らの判断で軍を出し、皇帝へは事後報告とすることを決めていました。
昼夜兼行して駆けつけた司馬懿の軍は、
わずか八日間で孟達のいる上庸の郊外に到着。
慌てふためく孟達のもとに急援軍は来ず、防戦の甲斐なく彼は司馬懿に斬首されました。




このとき司馬懿が悠長に皇帝の裁可を仰いでいたのでは、
孟達の謀反による被害は大きなものになっていたと予想されます。
司馬懿の臨機応変な行動の成果ということができます。

臨機応変さが裏目に出て失敗すれば、その責任は当然負わなければなりません。
逆に言えば、責任を取れるという確信と覚悟ができさえすれば、
積極的に動くべしと言えるでしょうか。

要は成功すればなんでもアリ、という世知辛い結論にいきついてしまいそうです。
ただ組織としては、その考えを優先させすぎると統制が取れなくなるという結果に陥ります。
難しいところです・・・

孟達についてはまた後日書きたいと思います。

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